訳:神木
原文:Long, Frank Belknap. "The Hounds of Tindalos" (1929). In Tales of the Cthulhu Mythos (1st ed.), Random House, 1998. ISBN 0-345-42204-X.
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「来てくれて嬉しいよ。」 チャルマースは蒼白な表情で窓際に腰掛け、そう言った。二本の背の高い蝋燭が彼の肘の辺りで揺らめき、彼の長い鼻と引っ込んだ顎に病的な影を落としている。その部屋に現代のものはない。彼は中世の禁欲主義者であり、自動車より写本を、ラジオや機械よりも薄ら笑う石のガーゴイルを好んでいた。 彼は私のためにソファを掃除してくれたようだった。私が座ろうと部屋を進むと、彼の机とその上に置かれたものが目に入り驚いた。彼は現代の有名な物理学者達による公式を研究していて、興味深い幾何的なデザインの薄く黄色い紙を幾重にも重ねて表紙にしていた。 「アインシュタインとジョン・ディーとは奇妙な並びだね。」 と、私は彼の60か70ほどの奇妙な蔵書を持つ小さな図書館に目を映しながら言う。プロティノスとエマニュエル・モスコプルス、セント・トーマス・アクィナスとフレニクル・ド・ベシーが薄暗い黒壇に肩を並べ、椅子や机には中世の魔術や黒魔術に関する小論文が散らばっていた。それら全ては勇敢で魅力的だが現代の世の中では馬鹿にされるものだ。 チャルマースはどこか人を惹きつける笑みを見せると、不可思議なほどに湾曲した銀のトレイを渡してきた。ロシア産のタバコを乗せて。 「今から私達で暴くのだ。古の魔術師や錬金術師のほとんどが正しかったことを。現代の生物学者や唯物論者のほとんどが間違っていることを。」 と彼は言う。 「君はいつも現代科学をバカにしていたじゃないか。」 私は少し苛立っていた。彼はそんな私にこう返す。 「独善的な科学はね。私は常にリベラルだ。独創性の擁護者であり、失われた原因だ。だから、現代の生物学者を否定することにした。」 「それでアインシュタインか?」 「彼は超越的な数学の司祭だよ。」 敬意のこもった声音で続ける。 「深遠な神秘主義者であり、神秘の探求者だ。」 「科学を完全に軽蔑する訳ではない、ということか。」 「勿論だとも。」と首肯し、「私は単にこの50年間でのヘッケルやダーウィン、バートランド・ラッセルの科学的実証主義を信じていないだけだよ。人間の起源や運命といったものを生物学は説明できなかった。失敗したんだ。」 「すこし時間をくれないか。」 そう私が答えると、チャルマースの目が輝いた。 「”時間をくれ”とは洒落が効いている。正しく今から”時間を与え”ようじゃないか。しかし、現代生物学者は馬鹿にするだろうね。彼らは鍵を持っているのに使おうとしない。実際のところ、どれだけ私達は時間というものを理解していると思うかい? アインシュタインは相対性理論でそれが相対的であると信じ、空間、まあ、湾曲した空間から解釈が出来ると踏んだ訳だ。だが、そこで終わりか?数学が我々の期待を裏切った時、これ以上進めなくなるのか?——深い洞察を以ってしても?」 「待ってくれ、君は今とても危険な領域に足を踏み入れようとしているんじゃないのか。それは先駆者達が避けてきた巧妙な罠だ。何故科学の進歩が緩慢なのか知らない訳じゃないだろう。実証出来ないことは受け入れられない。しかし、君は——」 「ハシシ、アヘン、東洋の賢人に近付けるあらゆるドラッグを服用する。そうすればおそらく——」 「何だって?」 「第四の次元が見える。」 「なんて馬鹿げたことを!」 「おそらく、いや、私は確信しているよ。ドラッグは人間の意識を拡張する。ウィリアム・ジェームズは同意してくれた。しかも新しいブツを見つけたのさ。」 「新種のドラッグってことか?」 「何世紀も前に中国の錬金術師が用いたものだ。まあ、こっちでは真か嘘か定かではないが。こいつの神秘的性質には驚くぞ。間違いなくこいつと私の数学的知識があれば時間遡行すら可能だね。」 「君が何を言っているか理解できないよ。」 「時間とはつまり私達の認識の外にある新しい次元に過ぎないのさ。時間と動きなんてのは幻想に過ぎない。世界が始まった時から存在するものは今も存在している。何世紀も前に起きた事だろうと今も存在しているし、これから起きる事すら今、既に存在しているんだ。ただ、私達にはそれらがある次元に踏み込めないから知覚できないだけで。分かっていると思うが、人間は単なる断片だ。巨大な全体の中の無限に小さい断片だ。全ての人類はこの星の全ての生命とリンクしている。全ての祖先は私達の一部分に過ぎない。時間だけが彼と祖先を分離しているように見せているが、これは錯覚に過ぎない。そんな境界は存在しないんだ。」 「理解できた、とは思う。」と私は呟くように返した。 「漠然としてても良い。とにかく少しでも見れれば十分なんだ。自分の目で時間の錯覚というベールを剥がすところを、始まりと終わりを見たいんだよ。」 「それで、そのドラッグが君を助けると?」 「ああ、その通りだ。更には君が手伝ってくれることも期待している。私は今からこれを飲もうと思っている。待ちきれないんだ。見届けてくれ。」 彼の目は強烈に輝いていた。 「私は戻るぞ、時間を戻る。」 彼は立ち上がり、大股で炉棚まで歩いた。彼がもう一度こちらを見た時には手の中に小さな四角の箱が握られていた。 「ここには遼丹が五錠ある。中国の哲学者、老子によって使用され、彼はこれによって道(タオ)を思い描いたんだ。タオは世界で最も神秘的な力だ。万物を取り囲み、浸透していく。道には目に見える宇宙や現実と呼ばれる全ての物が含まれているんだ。道の神秘を理解する彼は全ての過去と未来を見ているんだ。」 「馬鹿げてる!」 「道はまるで大きな獣のようだよ。横になっていて、動かないんだ。そして、その巨大な体には私達の世界の全て、過去も未来も内包しているんだ。私達はそれをわずかな切れ目から覗くように大きな怪物の一部を見るんだ。それが私たちの時間と呼称するものの正体なんだよ。この薬はその切れ目を拡張することに手助けしてくれる。そうすれば私はその大きな横たわった怪物を、生命の偉大な姿を見るんだ。」 「それで、私はどうしたらいいって?」 「見てくれ、我が友よ。見て、記録を取ってくれ。そして、もしも私が遠くに行ってしまいそうになったら現実に引き戻してくれ。私を激しく揺さぶってくれれば呼び戻せるだろう。特に身体的な痛みに苦しんでいたらすぐにでも呼び戻してくれよ」 「チャルマース。こんな実験をするのはやめないか。リスクが大きすぎる。私には四次元があるなんて信じられないし、道についてもそうだ。ましてや、未知の薬を使った実験なんて認めることは出来ない。」 「私はこの薬の特性について知っているよ。」と彼は言う。 「これがどのように人体や動物に影響を及ぼすのかよく知っているし、その危険性も承知の上だ。今回の実験の危険は麻薬に無い。時間の中で迷子になることだけを恐れている。君はよく見ててくれ。私は薬をアシストしてやらなきゃいけない。薬を飲む前にこの幾何学的で代数的な模様に集中して注意する。」 彼は膝の上に置いた例の数学的図式を掲げ、「東洋の神秘的な夢の世界に入る前に現代科学の借り得る数学的助けの全てを受けなければならない。この数学的知識は薬の作用を手助けする。つまり、薬は途方もない先にある新しい風景を切り開き、数学的準備がそれを論理的に理解することを可能にする。気持ちの上では、直観的には、あるいは夢では四次元を時として見る。でも、その神秘の素晴らしさを覚醒している時に思い出すことは出来なかった。しかし、君の助けがあれば思い出せる。私がこの薬の影響下にある時に言っている全ての事を記録してくれ。どれだけ奇妙で突飛な発言だったとしても一言一句違わず、だ。私が覚醒した時に不可解なものか、素晴らしいものか、どれも鍵になるかもしれないからね。成功するとは思ってないんだ。でも、もしも成功したら――」 彼の目が強く輝くと、 「最早私にとって時間は存在しない!」 と言い放ち、そのまま座った。 「今すぐ実験を始める。窓のすぐそば、そこに立って、見ておいてくれ。万年筆は持ったかい?」 私は憂鬱な気分のままに頷くと淡い緑色のウォーターマン(訳注:万年筆メーカー。ここではその製品のこと)を上着のポケットから取り出した。 「それから紙は?フランク。」 私は呻いて、メモ書きを用意した。 「やっぱり私は断固反対だよ。あまりにも危険すぎる。」 「愚かな婆さんのように怯えるんじゃない!何を言われても止まる気なんてないぞ。この図式を見ている間は集中したいんだ。静かにしていてくれ。」 彼はひたすらにその図式を持ち、研究した。時計が一秒を刻むのをじっと眺めるしか出来ない私はまるで窒息してしまうんじゃないかというような奇妙な恐怖に心臓をつかまれていた。 突如として時計が時間を刻むのを止めた。正しくその瞬間にチャルマースは薬を嚥下したのだ。 私はすぐに立ち上がると彼の下まで近寄ったが、彼の瞳は私の干渉を拒んだ。 「時計が止まった」 彼が呟く。 「制御する力が私の実験を認めたんだ。時間は止まり、薬を飲みこんだ。おお、神よ、どうか私が自分の道を見失わないよう。」 彼は目を閉じ、ソファへと身体を預ける。顔から血の気が引き、重苦しい息を吐く。ドラッグが尋常ではない速さで作用していることは明白だった。 「暗くなり始めている……。書いてくれ。暗くなって、この部屋のオブジェクトが次第に姿を消している……。目を瞑っていても私にはそれが見えている。しかし、素早くそれらは消えていっているんだ。」 彼の口は止まることなく描写していくものだから、私は急いで万年筆にインクを付け速記することにした。 「私はこの部屋を出る。壁は消え、おなじみのこの部屋の光景はもう見えない。君の顔だ。君の顔が未だ私には見えているぞ。ちゃんと記述しているか? 私は自分が遠くへ跳んでいっているのだと思う――そう宇宙だ。宇宙へ跳んでいる。もしくは時間が終わる時まで跳んでいる。あぁ、語ることが出来ない。全てが真っ暗で、不明瞭だ。」 彼はしばらく頭を胸に沈めたまま沈黙した。それから突然に彼は硬直し、瞼がはためくように開いた。 「ああ!これが天国か!」 彼は泣いた。 「そういうことなのですね!」 彼は反対側の壁を見つめながら椅子の前で緊張していた。しかし、彼が壁の向こう側を見ていて、部屋の中の物は最早存在していないことを私は分かっていた。 「チャルマース! チャルマース、起こした方が良いか?」 「やめろ!」 と彼は金切り声を上げる。 「"全て"が見えている。この惑星で私よりも先に生まれた何十億もの生命の全てが今この瞬間に私の前にいるのだ。私は全ての年齢、全ての人種、全ての色の男達を見ている。彼らは戦い、殺し、作り、踊り、歌っている。孤独な灰色の砂漠で荒々しい火の上に座り、単葉機で空を飛んでいる。樹皮で出来たカヌーと巨大な汽船で海に乗り出している。暗い洞窟の壁にバイソンとマンモスを描いて、巨大なキャンバスを奇妙かつ未来的なデザインで覆っている。アトランティスから移住するのが見えるぞ。レムリアからの移民もだ。これは、古の民族か――アジアを圧倒する黒く小さい人々の奇妙な大群と頭を下げて膝の曲がったネアンデルタール人がヨーロッパ中に広がっている。アカイア人がギリシャ諸島で古代ギリシャの文化の始まりへと流入している。今度はアテネだ。ペリクレスが若いな。イタリアの土を踏んでいるぞ。サビネの女たちの略奪を手伝っている。それから、帝国軍と行進だ。巨大な軍旗が通り過ぎ、勝利したハスタティの足踏みで地面が揺れている。その振動と畏敬の念に私の体も震えてしまっているよ。今度は千人の裸の奴隷が私の目の前でうろついて、テーベから夜の黒牛が引く大量の象牙と金を渡す。私が頷き、笑うと花の少女達が"カエサル様に敬礼!"と叫ぶのだ。私自身はムーア人のガレー船で奴隷をしていた。それから素晴らしい大聖堂の建設を見ている。石が次々に積み上がり、何月か何年かが経って、その石が崩れていくのを見ている。私はネロのタイムの香りがする庭園で十字架に頭を下向きにされて燃やされている。そしてそれを娯楽として見ていて、異端審問室で働く拷問官を軽蔑している。今度は最も神聖な聖域を歩いているぞ。ビーナスの神殿へと入る。マグナ・マーテルの前で跪き礼拝をする。バビロンの果樹園にベールを被って座っている神聖な遊女の裸の膝に向けてコインを投げた。イギリス・ルネサンス演劇に忍び込み、悪臭を放つ庶民に紛れて、ヴェニスの商人に拍手を送った。私はフィレンツェの狭い通りをダンテと共に歩いている。若いベアトリーチェに会って目を奪われていると、彼女の衣服の裾が私のサンダルを磨いた。私はイシスの司祭だった。私の魔法は国々を驚かせている。シモン・マグスは私の前に跪き、援助を懇願し、ファラオは私が近付くだけで震えた。インドではマスターズと話をして彼らの存在感に叫びながら走り回ってしまった。彼らの啓示は出血した傷への塩のようなものだから。」 「私は全てを知覚する。私は全てをあらゆる側面から知覚する。私は全ての数十億の祖先の一部だ。私は全ての男達の中に存在しているし、男達も私の中に存在している。私は一瞬の中で過去や現在の全ての人類の歴史を知覚する。」 「単に気を張るだけで私はどんどんと遠い所を見に行くことが出来る。今は奇妙な曲線と角度を戻っている。角度と曲線は私に重なっている。私が曲線を通ると素晴らしい時間の断面を知覚できる。ここには湾曲した時間と鋭角の時間があるのだ。鋭角の時間の中にいる存在は湾曲した時間へ入ることが出来ないようだ。これはとても奇妙だ。」 「どんどんと戻っていっている。人が地球から消えた。巨大な爬虫類が大きなヤシの下で寝転がり、陰気な湖の吐き気がするような黒い水を泳ぐ。あぁ、爬虫類たちもいなくなってしまった。最早動物は地上にいない。しかし、私には海の中に影がゆっくり腐った植物の上を進むのが見えている。」 「形は実に極々単純になっている。今、彼らは単細胞生物だ。私には角度があった――地球上に存在を持たない奇妙な角度だ。なんだかとても恐ろしい。」 「人がこれまで理解することのなかった深淵が、ここにある」 私はじっと見つめていた。チャルマースは立ち上がり、力の入らない腕で身振りをした。 「私は不気味な角度を通り抜けている。それに近付いて――あぁ、なんて恐ろしい……。」 「チャルマース!」 私は叫んだ。 「止めて欲しいんだろう?」 彼は名状しがたい幻をシャットアウトするかのように素早く右手を顔の前に持ってきた。 「いいや、まだだ!」 彼も叫んだ。 「まだ行く。私は見る――何が――あるのか――その先に――」 彼の額からは冷たい汗が流れ、肩が痙攣していた。 「生命を越えた先に――」 彼の顔は恐怖のために灰のようになっていた。 「――よく見えないが何かがある。それはゆっくりと角を移動している。それに体はなく、理解し得ぬ角度の中をゆっくりと移動しているのだ。」 その時、私は部屋の中の異臭に気付いた。刺激的で言葉では表すことが出来ないほどの臭いで、私は吐き気を催してしまった。すぐに窓へと近付き、開いた。それからチャルマースの所へ戻り、彼の眼を見る時にはほとんど気絶しかけていた。 「彼らに嗅ぎ付けられた!」 と、彼は喚く。 「彼らは私の方へゆっくりと曲がってくる。」 彼は恐ろしさに震えていた。少しの間空を彼の手が切った。それからだらしないうめき声と共に彼の足はだらりと落ち、彼の顔は前に倒れてきた。 私は彼が床を這いずり回るのを見ているしか出来なかった。彼は最早人ではなかった。歯は剥き出しになり、唾液が口の隅から流れ落ちていた。 「チャルマース!チャルマース、止すんだ!やめろ!聞こえているのか!?」 彼は私への返答のつもりか、遠吠えのようにしか見えないしわがれた痙攣音を発し始めた。更には部屋の中をぐるぐると怯える犬のように回り始めたのだ。私は彼の肩を強く掴み、その動きを止めさせようとした。激しく、必死に、彼を揺さぶったのだ。彼は頭を振り回し、私の手を撥ね退けようとした。私は知人の見たこともない姿に恐怖したが、それでも彼の肩を放すことはなかった。放してしまえば彼は自身を壊してしまうと恐れたのだ。 「チャルマース。もう止せ。この部屋に何がいるという訳でもあるまい。分かるか?」 私は続けて揺さぶりながらなんとか説得しようとした。すると、次第に彼の顔から狂気が消えていった。終には発作的に震えると中国製のラグの上にどさりと崩れ落ちた。 彼の体を持ち上げ、ソファーの上へと降ろす。彼の表情は苦痛に歪んでいた。私には彼が先程までの忌まわしい記憶と未だ戦っているのだということが分かった。 「ウィスキー。」 チャルマースが呟いた。 「窓の近くのキャビネットからスキットルを見つけてくれないか――左上の――引き出しの中だ…」 スキットルを渡すと、指の関節が青くなるほどに強く指で握りしめていた。 「私はほとんどアイツらに捕まったようなものだ。」 彼が喘ぐように言う。飲み込んでいた薬を吐き出すと、少し顔色がマシになった。 「その薬はまさしく悪魔だった!」 「いや、薬じゃない……」 彼は眼に正気を取り戻したようだったが、魂を失ったような顔をしていた。 「アイツらは私に狙いを付けた。遠くまで行き過ぎたんだ」 と呻く彼の機嫌を取ることにした私は、 「アイツらってのはどんなだったんだ?」 と聞いた。すると彼は体を前傾し、私の腕をつかんだ。そんな彼の手は恐ろしく震えていた。 「言葉で説明できるような存在ではない……!」 彼はかすれた声で囁く。 「それでも漠然と古代の石板に刻まれた不愉快な形やアダムとイブの堕落に象徴される。ギリシャ人は彼らに名前を与えることで本質的な不浄を覆い隠したのだ。知恵の樹、蛇、そして知恵の実――これらは謎の深い曖昧なシンボルだ。」 悲鳴とも言える声で続ける。 「フランク。フランク! 恐ろしくて、とても口には出来ないある行為が、原初に為されたのだよ。もうとっくにそれは、それから――」 彼は立ち上がり、ヒステリックに部屋を歩き回った。 「行為の種は時間の薄暗い窪みを角度を通って移動しているんだ。アレらは渇望し、飢えていた!」 「チャルマース、私達が生きているのは20世紀の30年だ。そうだろ?」 私は宥めるように言った。 「アレらは痩せていて、飢えているんだ!ティンダロスの猟犬達は!」 彼は叫んだ。 「チャルマース、医者を呼ぼうか。」 「医者が私を助けられるものかアイツらは魂に刻まれた恐怖なんだぞ。しかも、まだ――」 顔を手で隠し、呻くようにして、 「――アイツらは現実だよ、フランク。ゾッとするような一瞬の間にアレらを見たのだ。しばらくの間は対岸に立っていた。時間も空間も越えて、淡い灰色の海岸に。恐ろしい光の中で、あるいは光ではないものの中で、悲鳴を上げる沈黙の中でそれを見た。」 「宇宙の全ての不浄が、その痩せた体に集中しているようだった。いや、体と言って良いのか? 一瞬だけのことだから確実に言い切れることは何もない。しかし、息遣いを聞いた。恐ろしい話だがアレらの息を顔に感じたのだ。アレらは私に向き直ってきた。叫びながら逃げ出したが、一瞬の間に多くの時間を跨いで叫んだ。何十年もの間逃げ続けたのだ。」 「それでもアレらは嗅ぎ付けてくる。宇宙的飢餓に動かされるのだ。私達は一瞬だけ不浄の周りから逃げ出した。アレらは私達の中にある清浄な物を追い求めている。原初の行為に参加しなかった私達にだけあるものだ。それが憎いのだよ。私は清浄な物と表現したが額面通りに受け取ってくれるなよ。もう既に知っていると思うが、アレらは善とか悪とかそういう存在ではないのだから。アレらは原初の時に清浄から零れ落ちたものだ。そのある行為によって、アレらは痩せた体、全ての不浄の器になったのだ。しかし、アレらは私達から言わせれば邪悪とは呼べないだろう。既に分かっている通り、アレらの動く中には思考も、道徳も、善悪もない。ただ清浄と不浄があるだけなのだ。不浄は角度を通してそれ自身を表現する。純粋な曲線だ。ある男の清浄な部分は曲線によってのみ決まる。笑うんじゃない。冗談で言ってるんじゃないんだ」 私は立ち上がり、自分の帽子を探した。 「すまないな、チャルマース」 と言いながらも、私はドアに向かって歩いた。 「私はもう君の妄言を聞き続けるつもりはないよ。良い医者を知っているんだ。彼はベテランで親切だ。もし君が悪魔がどうこうと話しても気分を害すことなく聞いてくれるだろう。ただし、君も彼のアドバイスをよく聞くんだ。サニタリウムでの療養はきっと良い気分にしてくれるだろうさ。」 そのまま私は階段を降りて行った。後ろからは彼の笑い声が聞こえてきた。その笑い声はとても私の話を聞き入れてくれたようには思えず、その無慈悲な笑いに涙を流した。
翌朝、チャルマースから電話がかかってきたが、私はすぐに切りたくなってしまった。彼の要求は信じられないものだったし、その声はとてもヒステリックで、これ以上関わっていては自分も正気を失ってしまうのではないかと不安に駆られたのだ。しかし、彼があまりにも惨めに壊れてしまい、回線越しにすすり泣くものだから従うことに決めたのだ。
「わかったよ」と私は言った。 「すぐに石膏を持っていく」と。
チャルマースの家に向かう途上で金物屋に立ち寄り、20ポンドの石膏を購入した。私が彼の部屋に入った時、彼は窓の下にしゃがみ込み、反対側の壁を見つめながら恐怖で熱に浮かされたようだった。彼は私を見るなり立ち上がり、恐るべき勢いで石膏の入った小包を奪い去った。彼は全ての家具を払い出していて、そのせいか部屋には荒涼とした雰囲気が立ち込めていた。
「これで奴らを止められる!」と彼は叫んだ。
「いや、しかし、直ぐにでも対処しなければ。フランク、廊下に脚立があるんだ。直ぐに持ってこい。それからバケツの水もだ」
「何のために?」と私は呟いた。
彼は鋭敏に向きを変え、詰め寄ってきた。
「どうして石膏を混ぜていない!」と彼は泣き始めたのだ。
「名状しがたい不浄から肉体と魂を救済するために石膏を混ぜる……。石膏を混ぜる、世界を救う——」
「フランク、奴らを締め出さなければならないんだ!」
「誰のことだ?」私は小さく尋ねた。